エンターテインメントは柔じゃないと再確認した

私はエンターテインメントが好きだ。

幼い頃からテレビばかり観ていて、教育テレビが大好きだった。教育テレビだけでなく民放を観るようになった。観るジャンルは教育番組や女児向けアニメからバラエティーに切り替わり、バラエティーだけではなくてドラマも観るようになった。最近は時間がなくてあまりテレビを観れていないけれど、やっぱりテレビは好きだ。年を重ねていくにつれてテレビ以外のエンターテインメントも好きになった。そんな私が舞台鑑賞を好きになることは必然的だと思う。私は世間に一定数いる『エンターテインメントに生かされている人間』のひとりだ。

 

どれミゼラブル!を観に行ったとき、やっぱりエンターテインメントはすごいと思った。どんな舞台も観劇するたびにそう思うけれど。エンターテインメントは人間の強いところを伸ばしたり得意な分野をフューチャーするだけではなくて弱いところや苦手な分野をフューチャーして認めてくれるなと改めて思った。コメディ作品で登場人物に人間の弱いところや苦手な部分をさらけ出されるなんて思ってなかった。またどれミゼラブルが観たいと思ったし、演出の池田さんや脚本の可児さんが手がけた作品が観たいと思った。だから演出が池田さんで脚本ではないけれど翻訳が可児さんの悪魔の毒毒モンスターの公演が決定したとき本当に嬉しかった。しかも主演は大好きな福田さん!ずっとお芝居が観たくて観たくて仕方なかった翔太さんも出るなんて!幸せいっぱいだったし、今も幸せいっぱいだ。情報解禁がどれミゼラブルが大千穐楽を迎えてからすぐで、どれミゼラブルの余韻を引きずりながら毒毒モンスターの幸せに浸って、絶対にチケットを取ってやろうと心に決めた。

 

チケットは無事に取ることができて、心を躍らせていた。チケットはそれはそれはとってもいい席で腰が抜けてしまった。それにどれミゼラブルのときと席が似ていて、勝手にどれミゼラブルと毒毒モンスターを重ねていたけど、もっとどれミゼラブルと毒毒モンスターを重ねてしまった。

 

心を躍らせて幸せに浸っていたけれど、新型コロナウイルスが蔓延していることはもちろん知っていた。もしかしたら中止になってしまうかと思ったときもあったけれど、きっと上演されるだろうと信じていた。けれど政府にとっては私の信念などどうでもよくて、公立学校の休校要請が出たりイベントへの自粛要請が出た。SHOCKや八つ墓村の公演が中止になった。八つ墓村の東京千穐楽が中止になってしまったことがすごく辛かった。でもSHOCKの中止期間は3月10日までで、毒毒モンスターの初日は3月13日だから、きっと毒毒モンスターは初日から上演できるだろうと信じ込んだ。信じ込まないと公演が中止になってしまうのではないかと思ったから。マイナスな気持ちになってしまうことが多かったけれど、友人に「絶対行けるように祈ってるから!」と言ってもらってすごく元気が出た。言葉の真意はわからないしそのときの口先だけのことかもしれないけれど本当に嬉しくて、そのあとひとりで泣きそうになってしまった。そしてSHOCKの公演中止が決まってから、毒毒モンスターのホームページとジャニーズネットの延期・休演決定の公演・イベント一覧のページを携帯のホーム画面に追加して、1日に1度必ずチェックするようになった。

 

日を重ねるにつれてありとあらゆるエンターテインメントに関するイベントが中止されていった。コロナウイルスが蔓延しているというだけでなく、エンターテインメントに関するイベントの開催に対してとても嫌悪感を押し付けられていた、あの状況の中で上演を決めてくれてわたしに前向きな気持ちを持ち直させてくれた宝塚歌劇団の公演も、上演が中止になった。あれだけしっかりと感染防止の措置を取っていたのにと、悲しくなって、切なくなって、苦しくなった。それと同時に強い憤りを感じた。どうして通勤電車やパチンコ店、風俗店には制限がかからなくて、観劇には制限がかかるのだろうと思った。政府有識者さんからは「座席に座って、マスクを着用して、大人しく正面を向いて鑑賞する演劇やコンサートは感染リスクは低い」という見解も出ているのに。政府と世間はどうしてエンターテインメントというだけで生活に必要ないというような風潮にあるのだろう。エンターテインメントを立派な職業として生活している人たちがいるのにも関わらず、一般職とは違う扱いを受けているのはおかしくないか。エンターテインメントに興味のない世間の人たちからのエンターテインメントを非難するような言葉に勝手に傷ついてしまった。ここまで書いていてわかってほしいのは私が思っているのは『観劇より通勤電車の方が感染リスクが高いんだから通勤電車に制限をかけて観劇には制限をかけるな』ではなくて『観劇に制限をかけるのならそれと一緒に通勤電車にも制限をかけろ』ということだ。

 

公演が中止になってしまった劇場はキャパが1000人以上のものが多かったから、キャパが約500人のよみうり大手町ホールは大丈夫だと信じ込んでいた。けれどキャパが200~300人の劇場での公演もどんどん中止になっていった。わたしの中での安心材料がどんどん少なくなっていった。わたしには公演が予定通り行われることを祈るしかできなかったし、それがすごく無力で悲しかった。きっと上演に向けて今も稽古をしているであろうキャストのみなさんとスタッフのみなさんとエンターテインメントの力を信じて待つことしかできなかった。

 

どんどんと毒毒モンスターの初日が近づいていった。2月末にホームページに「実施予定で公演準備を進めている」とアップされてから公式からの発表がなかった。初日の週に入ってからは暇さえあれば毒毒モンスターのホームページとジャニーズネットの延期・休演決定の公演・イベント一覧のページを開いた。日に日にチェックの頻度は高くなっていって、観に行くことができないのではないかという不安も大きくなった。SHOCKの公演中止期間も延びてしまった。SHOCKの公演中止期間と毒毒モンスターの公演期間は被っていないという自分への言い訳が利かなくなった。けれどISLAND TVのふぉ~ゆ~の4時間生配信では福田さんも翔太さんもたくさん毒毒モンスターの話をしてくれて、キャストのみなさんやスタッフのみなさんの絶対に上演するという心意気が伝わってきた。自粛ムードの中、上演できるかどうかまだ検討中だからという理由でその作品の話をしないという選択をしなかった福田さんと翔太さんのことをやっぱり信頼できるな、エンターテインメントで生きている人はエンターテインメントの力を信じているんだなと再確認させられた。次の日のSHOCKプリンシパルキャストでのインスタライブで光一さんの「舞台はコンサートとは違って予定がぎっしり詰まっている。だからやりたくても振替公演はできない」というようなお言葉に心が痛んだ。どうしてSHOCKは上演できないのだろうと思った。毒毒モンスターが中止になったとしたら再演がない限りもう観られることはないだろう思った。SHOCKも毒毒モンスターも座組のみなさんが稽古をしてきたものがより多くの観客に観てもらえなくなってしまうと思った。美波里さんの「舞台に立たないと(私は)何者でもない」というお言葉に声をあげて泣きたくなった。比較的舞台に立つことが多い人を応援することが多い私にはただでさえ刺さってしまう言葉なのに、世間がこのような状況でさまざまな舞台が中止になっている中でこのようなことを聞いたから本当に泣きたくなった。美波里さんの言葉を聞いて、必ずよみうり大手町ホールに悪魔の毒毒モンスターを観に行こうと決めた。

 

公演についての情報が更新されたのは初日の2日前だった。

・初日から3日間は公演を延期する

・そのあとからは予定通り上演する

・来場を取りやめる観客の払い戻しを引き受ける

・感染予防、拡散防止の取り組みとして消毒液の設置、換気、サーモグラフィーの導入をする

・客席を使用した演出を取りやめる

私はここまで発表が遅れたことで運営会社の方々を責めるつもりは全くない。この発表の前日に大規模イベントの自粛要請が19日まで延びた中でこのような判断を下してくれたことにむしろ感謝の方が大きい。これで、本当に本当に毒毒モンスターが観に行けるんだととても安心した。嬉しかったし信じていてよかったと思った。「絶対行けるように祈ってるから!」と言ってくれた友人に次会ったら真っ先に感謝したいと思った。このような判断を下してくれた運営のみなさんやこの状況で上演してくださる座組のみなさん、劇場のスタッフさんおひとりずつに面と向かって感謝の気持ちを伝えたくなった。19日まで公演中止になってしまっている作品が多くある中でできるだけスケジュール通りに上演してくれることがとても嬉しかった。これは毒毒モンスターのチケットを持っている観客としてもだけれど、いち『エンターテインメントに生かされている人間』としてもこの自粛ムードを破ってくれた一つの作品になってくれたことがとても嬉しかった。それと同時に今から演出を変更するのは酷だろうなと思ったし延期した日程の劇場の使用料金はどこから出たのだろうと思った。光一さんのインスタライブでのお言葉が頭をよぎって、いろいろな決まっていたことが変化したのすごくわかって、より感謝の気持ちでいっぱいになった。悪魔の毒毒モンスターに関わられたすべてのみなさま、本当にありがとうございます。そして翌日、上演にあたっての案内が出た。

・劇場内のカフェ営業を取りやめる

・ブランケットの貸し出しを取りやめる

・喫煙所を使用不可とする

・祝い花を断る

・手紙やプレゼントは受け取らない

もともとお手紙を書くことが好きでお手紙は福田さんにも翔太さんにも池田さんにも可児さんにも書こうと思っていて下書きまで作成していたから、手紙受け取りなしはとても残念だったけれどしょうがないときっぱり諦めることができた。不明確だった上演についての詳細が明確になったことで私の気持ちにも余裕ができて、純粋に観劇を楽しもうという気持ちや絶対に劇場に病原体を持ち込まないぞという気持ちが前よりもっと大きくなった。正確な情報が手元にあるというだけでこんなに人間は安心できるんだなと自分でも驚いた。

 

観劇当日、わくわくした気持ちで胸を膨らませて劇場へ向かった。街は普段よりも寂しげで、これが新型コロナウイルスの影響かと寂しかった。

 

物販あるスペースやクロークのある3階に上がるエスカレーター前でサーモグラフィーでの体温確認作業があった。スタッフさんは全員マスクを着用されていた。スタッフさんが2人でその仕事をされていて、その後のエスカレーターも前の方との間隔開けを伝えられた。エスカレーターを上がって物販スペースでの指示は少なくて、売り子さんが手袋をしていたことくらい。クローク担当のスタッフさんとチケットもぎりのスタッフさんも手袋をされていて、ホワイエのところどころには消毒液が設置されていたし、窓もしっかり開いていた。観客も全員マスクを着けていた。

 

驚いたのは客席がほぼ満員であったことだ。このご時世だから1列に1席以上は空席があるのではないかと思っていたけれど、本当にコロナウイルスが蔓延していて初日から3日間の公演が中止になったのかと思うほど、いつも通りの客席だった。もちろん空席はちらほら見かけたけれど、しっかり人が入っていた。ああ、エンターテインメントに生かされているのはわたしだけじゃないんだと思えた。わたしは素敵な友人に恵まれて、友人たちは先程書いたように「絶対行けるように祈ってるから!」と言ってくれたり、「コロナ大丈夫?行けるといいね」と言ってくれた。インターネットの海にはわたしと同じような考えの方が大勢いた。けれど周りにはもちろんエンターテインメントに興味のない人もいて、散々「中止になる」「行く意味がない」「行くな」と繰り返された。目の前にいるエンターテインメントに触れたこともないような人にわたしの考えを否定されるのは辛くて落ち込んでしまった。人混みに行けば感染リスクは上がるし、ホールは密閉状態であるから危険な場所であることは違いない。けれどこんな鬱屈した日々だからこそわたしは生のエンターテインメントに触れたいと思った。あの日劇場にいた方々はエンターテインメントに生かされているんだと思えた。やっぱりエンターテインメントは世の中になければならないと感じた。

 

「エンターテインメントは平和でなければ成り立たない」本当にそれを痛感した1ヵ月だった。それとともにこの1ヵ月で「世の中を平和にするのもエンターテインメント」なのではないかと思った。公演の中止や延期への不安、悲しみ、やるせなさ、ウイルスについてマイナスなことばかり報じるマスメディアや曖昧で信用しきれない政府への憤りでわたしは疲れ切っていた。けれどそれを忘れるくらい、公演に行けることが決まった安心、喜び、生のエンターテインメントを感じた幸せ、笑い、考えたことが本当にストレス発散になったし、気持ちに余裕ができた。ひさびさに声を出して笑ったし、今思い出してもにやにやしてしまう。もやもやしていたわたしの気持ちはエンターテインメントによって、本当に晴れた。きっと一定数の人間にはエンターテインメントが必要なのだ。